■「わたしの健康」(1985・8号) ”三浦綾子さんが大阪のミルク断食で驚異の回復”
3年前にガンの手術。最近は、貧血や便秘で体調が悪化していた作家が元気になった
三浦綾子さんがミルク断食で驚異の回復
・”兎の糞”が快便に変わった
「私ね、尾篭な話で申しわけないけど、長いバナナみたいな色の便が、わずか1分でスルッと出たのよ。うれしくてね。このことだけでも、私には驚異的なでき事なのよ」
大阪・森の宮にある健康再生会館で「ミルク断食」中の作家・三浦綾子さんは、この半年ほどがんこな便秘に悩まされていた。30分もトイレでがんばっても、兎の糞みたいなコロコロした便しか出なかった。それがこのミルク断食で、あっという間に快便に変わった喜びを、目を輝かせて一気に語った。
三浦綾子さん、63才。昭和39年、朝日新聞の連載小説『氷点』でデビュー。以来、精力的な作家活動をつづけて今日に至っている。3年前、直腸ガンの手術を受けたことがあり、最近はあまり体調のすぐれない日が多いようだ、と伺っていた。
ところが、いま目の前にいる三浦さんは、断食中で少々やせてはいるが、体の動きも軽やかで、顔色もすこぶるよい。これは、どう見ても体調の悪い人のそれではない。
「今回、大阪でミルク断食を受けるきっかけになったのは、まさにこの”兎の糞”のおかげです。私は3年前に直腸ガンの手術をしましてね。その後、3カ月、6カ月ごとの検診で、だいたい落ち着いていたんです。それがこの1年ほど、カゼをひいたり、旅行に出かけたりで、検診が間遠になっていました。今回、関西方面の取材旅行に出る前日に、ようやく検診を受けましたら、もと切った傷の横に何かできている、と先生がおっしゃったんです」
三浦さん自身も、体調がよくないという自覚症状があったので、少なからぬショックだったという。しかし、もうできてしまったものはしかたがない。そこで、三浦さんは腹をすえて、ここ半年ほど苦しんでいる”兎の糞”の話をしてみた。
「そうしましたらね、『それは食事療法でなんとかなりませんか』っておっしゃったの。私は、その一言で便秘を薬でなく、食事療法で治したいと思いました。
取材旅行は京都が起点でしたが、とても疲れて取材はできかねて、1日ちょうどあいてしまったんです。そのとき、『そうだ、大阪にミルク断食の加藤清先生がいらっしゃる。この機会に行ってみよう』という考えがひらめきました。というのは、私が直腸ガンの手術をしたことを知っている読者から、加藤先生のところへ行ってくださいという手紙が、あっちからもこっちからも来ていたのです」
・手足が死人のように冷たかった
本誌編集部に三浦さんからの電話が入ったのは、5月17日の夜のことである。大阪の加藤式療法を見学したいので、口添えをお願いしたいという内容であった。記者は一般の読者の問い合わせに答えるのと同様に、加藤式療法でガンから助かる人もいる一方で、どうしても助からないケースもある、という説明をしたが、三浦さんは加藤先生の著書を読んでいるのでその点はよく承知しているとの返事であった。
さっそく、大阪の健康再生館に連絡をとり、京都から作家の三浦綾子さんが見学に行く旨を伝えた。
「加藤清先生は私の体を、東洋医学的な方法で診察なさって、『これは婦人科も、腸も胃も。腎臓もはれている。腹水も少したまっている。のどにも古いシュヨウのあとがある』とおっしゃいました。また、手は指先からひじの関節まで、足は膝から下が冷たくて、まるで死んだ人のようだとも言われました。ひどい貧血で、新しい血をつくっていないから、ガンにもなりやすいのだということでした。私の貧血はかって結核で闘病生活を送っていたころからで、その歴史はかなり古いものです。手や足の先など、白いというより、青黄色いというか、もう死人の肌でしたね。お風呂に入っても、体が赤くなることがまるでありませんでしたから」
加藤先生が触診で指摘した「のどのシュヨウのあと」には、三浦さんに思い当たる節があった。13年ほど前、大阪のキリスト教短大での講演に招かれたとき、どうにものどが痛いことがあって、たまたま信者さんの中に大学病院の専門医がいて診察を受けたところ、「これはのどに悪質な疾患がある。講演に招いておいて悪いが、これからは筆談をするからできるだけ無声音で話すように」と言われました。悪質な疾患と言われて、三浦さんはとっさにガンを思ったが、病院で検査を受けるのがこわくてそのままにしておいたら、のどの痛みは自然にとれてしまった。
3年ほどたって、大阪を訪れた三浦さんは、その専門医の診察を再び受けた。すると、「不思議ですね。まだ生きておられるところを見ると、あれはガンではなかったんでしょうか」と、盛んに首をかしげたそうである。その「のどのシュヨウのあと」をズバリ指摘した加藤先生の診断力に、三浦さんはびっくりした。
・ガンはあっても社会復帰できる
「私はね、加藤先生のご著書は以前から拝見していて、ミルク断食は無理のない食事療法だということは頭では理解していたつもりです。ところが、実際に大阪の健康再生会館を訪ねたら、『わたしの健康』の編集長のお父様がミルク断食をしておられたのね。66才だそうですが、なによりも顔色がよく、病人とは見えないみごとな老青年ぶりに驚きました。そこに身近な生き証人がいた、ということで安心感がわきました」
実は記者の父は、2年前、ある大病院で胃ガンのU期、直径5.5×4.5cmのシュヨウがあるという診断を受けていた。主治医は、「いまなら切れば治す自信がある。この際、胃カイヨウということにして、手術してしまおう。そして、5年後に、実はあれはガンだったんだよ。と教えてあげればいい」と言う。記者は自分の父に、胃カイヨウだと嘘をついて手術することを拒否した。そして、「主治医は胃カイヨウだと言っているが、あるいはガンかもしれないよ。もしそうだたら、どういう治療を受けたいか」とズバリ話した。つまり、記者としては、患者が受けたいと思う治療法を、みずからの意思で選ぶ自由がある。と思ったのである。そのうえで、父が手術を選ぶのなら、それはそれで一つの選択だと思った。
父は、手術よりもミルク断食を選んだ。胃ガンの宣告を受けた当時の父は、顔色は悪く、食欲不振、胃のつかえ感、胃の痛み、高血圧、手足の異常な冷え、常習的な便秘などがあり、加藤先生の診断では、胃だけでなく肝臓や膵臓にもはれがある、ということだった。
「いま手術すれば治るというが、それは単に悪い個所のある胃全体をとってしまうだけにすぎない。胃を元どおりに使えるようにして、初めて胃ガンが治ったといえるのではないか」というのが、ガン患者である父の言い分である。父は2年前、20日間のミルク断食を受けた結果、先に挙げたさまざまな不快症状はことごとく消えてしまった。以来、朝と昼の食事は必ず粉ミルク、夕食は野菜や魚を中心とした食事に切りかえて、元気な毎日を過ごしている。半年に一度、胃カメラで診断をしているが、胃のガンは2年後のいまも相変わらずある。しかし、大きくなったり、胃壁深く浸潤したりしていない。だから、現代医学的に言えば、ガンは治ったわけではない。しかし、この3月に退職するまで、週に6日の会社勤務をりっぱにこなし、カゼひとつひかない健康ぶりから見れば、ガンとともに生きる父は、確かに「助かっている」と言えるだろう。
三浦さんと今回、大阪で出会ったのは2年目の体のオーバーホールのために、2週間のミルク断食に来ていたからであった。
・たかが「粉ミルク」で驚異の回復
加藤先生の診察を受けたあと、5月20日から、三浦さんは四国へ取材旅行に出発する。朝、出がけにさっそく「調合ミルク(赤ちゃんのミルクを主体にした飲み物)」を飲んで、午後10時、京都から新幹線に乗った。
「京都から三原経由で四国の今治に渡ったのですが、新幹線で3回下痢しましたよ。その下痢のまあ、気持ちのいいこと(笑)。普通は下痢をすると、何もしたくないほど体が衰弱するものだけど、それが一向に疲れない。体がまるで羽毛のように軽く感じられて、全く疲れないんです。粉ミルクのおかげでほんとに快適な取材旅行でした。24日の結婚記念日を松山で迎えて、翌25日に大阪に戻り、このミルク断食を受けることになったわけです」
取材旅行に同行していた三浦さんの夫・光世さんは、始めのうち、加藤先生の診断が少々オーバーではないかと思っていたという。とにかく四国と東京の取材旅行の日程を消化して、旭川の自宅へ戻ってから、じっくり考えて出直してくることを提案した。ところが、取材したことが書けるかどうかもわからない体の状態なのに、そんな悠長なことは言っていられない、だいいち数日間、粉ミルクを飲んだだけでよい変化があったのだから、という三浦綾子さんのかたい決意に動かされた。
「ミルク断食を始めてからの家内の体調の変化たるや、それは目覚しいものでした。”兎の糞”がバナナのような健康便になったことがいちばんですが、朝の6時台に自然に起きられるようになったのも、実に画期的なことです。これまでは、私が忍者のように、いくら足音を忍ばせて部屋に入っても、家内はパッと目を覚まして、それからもう眠れない。それで、いつもは早くて朝10時ごろでないと起きられない。起きてもすぐには仕事になりませんから、午前中はボーッとしていました。それが、薬も使わないで、ぐっすり翌朝まで眠れて、しかも6時台にスッと起きられる。これはいままでの家内の生活からは、とても考えられない画期的なでき事です」
20日間のミルク断食の期間中、水断食も何日かあったが、三浦さんは疲れらしい疲れは感じなかったという。近くにある大阪城公園を夫婦で散歩したり、原稿を執筆したりする元気さえわいてくる回復ぶりである。
まるで死人のようだといわれた手足にも、赤みがさして、あたたかさが戻ってきた。もちろん顔色もよくなってきた。こまかい変化でいえば、目やにがよく出ていたのが出なくなった、くしを通すたびに脱けていた髪がほとんど脱けなくなっていた。
・どんないい療法でも治すのは本人の力
健康再生会館でミルク断食を受けているのは、三浦さんだけではない。末期ガンであとわずかの命と宣告された患者が、全国からやってくる。「加藤先生は手でふれただけで、『胃がはれている。肺もやられている』とおっしゃるでしょう。ふつう、指圧師は医者よりも信頼できない、と思っている人が多い。でも、ここへ来る患者は、ガンの専門病院から逃げてきた人や、おなかを切ったけど手おくれでそのまま閉じてしまった人、手術したが再発した人などがやってくるのね。加藤先生が診断を下す前に、すでに現代医学で診断されているんですね。それを次から次へ、加藤先生の手は精密機械みたいにピタリピタリ当てていく。私は、現代の医学だけで考えることのできない世界って、ほうんとうにあるんだなと思いました」
ここでは、自分がガンであることをいっさい隠さない。もちろん、一人一人がガンであることの不安を持ちながらも、ここには明るさがだだよっている。それは、日に日によくなってゆく多くの患者を周囲に見て、無言のうちに励まされるからにほかならない。
「いっしょにマッサージを受けているかたで、70才は過ぎているガンの女性がいるんです。とても黄疸がひどくて、全身の肌はもちろん、白目も真っ黄色。そのかた、ミルク断食4〜5日で、肌がだんだん白くなってきて、黄ばみがとれてきた。『一人の可能性は、万人の可能性』ですからね。とてもうれしかった。そのかた、糖尿病もあって、左のまぶたが下がって視力もほとんどなかったそうですけど、そのまぶたがいつの間にか上がって、目が見えるようになったんですって。黄疸が治って、糖尿病の目が見えるようになっちゃったわけね。ふつう、糖尿病というと一生治らない病気でしょう。それが甘い粉ミルクを飲んで治っている、とても不思議なことですね。
それから驚いたのは舌ガンの人。30代の若い奥さんですが、舌ガンで一度舌を切られて、そのあと再発したから、また切ると言われて、ここへ逃げてきた。それがミルク断食4日で、切ると言われた舌のイボが、きれいに消えてしまった。もう、これで切る必要もなくなったわけです。
わずか4〜5日で、こんなにすばらしい変化があるなんて、実際の患者さんを見るまで信じられませんでした」
いま、三浦さんは、20日間のミルク断食を無事に終えて旭川へ戻ろうとしている。加藤先生は、三浦さんを診察しながら、次のように言う。「私が治したんじゃないよ。あなた自身に与えられた自然治癒力が発揮されて治るんです。いいかね、どんないい療法でも、治すのは本人の力だよ」
人間が生まれて初めて出会った食べ物である粉ミルク(母乳)が、ガンをはじめとする成人病から命を救う食べ物でもあったとは、実に不思議なめぐり合わせではないだろうか。三浦綾子さんが生命の糧とも言うべき「粉ミルク」によって、ますます意欲的な創作活動をつづけられるよう、心からお祈りしたい。 (本誌・原山)
(・「わたしの健康」1985年8月号 p、164〜p、168より〜 引用)


